top of page

今、私には何かが欠けている。 

 

それは「かみさま」だ。

 

「かみさま」は外にはいない。私の心の中、遠いところにいる。「かみさま」は私自身だ。

私は、より私を知り、「かみさま」のいるところに近づかなければならない。「生」の試練だ。

自分を完成に近づけること、「生」の試練は常に苦しみをともなう。

「死」は、そんな苦しみからの解放であり、甘い罠だ。

もし生きるのならば、私は苦しみながら自分自身と向き合っていかなければならない。

私の絵は、私の中にいる「かみさま」を呼び出すための憑代だ。

私の作品は「キッチュ」だ。たくさんの色やモチーフに溢れている。

「あふれる、集積する」というのは、私たちの中に眠る根元的な心地よさであり、

私たちの憧れでもある。

これは、言い換えるならば「生」の心地よさ、憧れだ。

対する「死」は「消耗する」心地よさを与える。

「消耗する」ことはたやすい。

しかし、私が生き続けるのならば、私は「生」の完成に向かって、

「あふれる」心地よさを求めようと思う。

2016.11.01

bottom of page